この世には、相反する2つのものが表裏で存在している。今述べた表と裏や、プラスとマイナス、陰があって陽がある、晴れの日があって雨の日がある。
人間自身もそうで、男と女の2つだ。
この大宇宙の法則から考えるところ、闇と光が人の生活の中にも存在しているのだ。一見良い人に見えても、その人自身が課題と感じる部分や、人には見せたくない(もしかしたら自分では気づいていない)部分が闇として、光の裏には闇が、表裏一体存在しているものである。と、考えてみる。
何が言いたいのか。というと、一見良い人であっても、悪い部分の闇が存在する。と、いうようなありきたりな責め心を持った話ではなく、肯定的な話だ。
どうして光が射すのか。そんな一面がありながら、陰となる闇が存在しているのか。というのは、闇があるから光が存在するのではないか。闇があることで、光り輝いて見えるのではないか。という考えに至る。
人の良い部分が存在するのは、悪い部分があるからで、自分自身を見た時に、問題視する必要もないかもしれない。その悪い部分(自分が課題だと感じている部分)があっての、良い部分なのだ。悪い部分が存在しなければ、良い部分というのは存在しない。
人には闇が裏側にあることで、日常は光となることができる。人には光と闇(プラスとマイナス)の両方が存在していて普通なのである。悪い部分があって初めて、良い部分が存在する。悪い部分がなければ良い部分も存在しなくなる。人に愛される貴方を支えているのは、貴方自身の闇の部分なのではないか。
と、いう話。
だから、反省することがあっても、責めたり、必要以上に落ち込む必要はない。良い自分を褒めたくなるのと同じ様に、出来なかった自分も認めるべきである。寝坊することも、つい感情的になってしまうこともある。何のこだわりも不足もなく、澄み切った張り切った明き心。嫌なことがあっても、澄み切った張り切った明き心を持つことが大切である。
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