写真:知覧特攻平和会館
私は23歳の時に鹿児島県は南九州市知覧町にある“知覧特攻平和会館”を初めて訪問しました。第二次世界大戦末期に飛び立った特攻隊の方々の遺書が展示されています。
日本は73年前に第二次世界大戦を終えました。
戦争も終盤で圧倒的に圧されていた日本は沖縄本土にアメリカ軍が上陸するのを防ぐ為に“特別攻撃隊”という決死の作戦に出ました。
皆さんも聞いた事がある特攻隊の事です。
最年少で17歳と1ヶ月〜30代前半までの若者が自分の命を捨てて敵の空母目掛けて散っていったのです。これからの戦後の日本を支えるはずだった尊い若者たちです。
皆さんは特攻隊に対してどんなイメージでしょうか?
私は日本軍に“マインドコントロール”をされた、言わば“操られていた人たち”の様なイメージを抱きました。その理由は「自分は日本の為に自分の命を捨てるなんて事は出来ないから」です。小学校5年生の頃に母親と親戚と一緒に初めて知覧特攻平和会館を訪問しました。何を見て、何を感じたのか全く覚えていませんが、母親が泣いているのを見て“怖い場所”のイメージがつきました。それが10歳の頃の話です。
それから13年後23歳の時に、知覧特攻平和会館を再訪問しました。
自分より年下が命を捨てて散って行ったのだと思うとその時は前回訪問した時と全く違う感覚を覚えました。
全ての遺書をじっくりと読んで分かった事は「自分の命を日本の為に捨てる事を心から望んだ人は誰もいない」という事です。特攻は志願だったのですが、言わば志願という名の強制なのです。
友が戦死した中、誰が「自分は助かりたい」と声に出して言えたでしょうか?
そして、みんな自分の家族の為に命を捨てたのです。「自分の命を犠牲にする事で敵から家族には指一本触れさせない」
自分の命を捨ててでも守りたい人やモノがあったのです。
最近では永遠の0の映画化により特攻隊のイメージが少しずつ伝わってきたのではないかと私は思っております。
-5年間付き合った婚約者に向けて書いている遺書(穴澤さん)
-父を思い死んでいった子どもに向けて書いた遺書(藤井さん)
-たった一人の母と兄に向けて書いた遺書(四ノ宮さん)
遺書は全て検閲されていたのです。本音を書きたいのですが、書けないという中でも自分の気持ちを伝えている遺書があります。
そのほとんどが家族(特に母親)に向けて書かれている遺書ばかりです。
お母様晴れて突撃の日を迎えました。
先に旅立つ不幸をお許し下さい。でも泣かないで下さい。立派に軍人としての使命を果たします。最初で最期の親孝行です。
上記の様な内容が多いです。
そして、これからの日本を復興させてくれる後輩たちに未来を託して散って行ったのです。
あなたは何の為に命を使いますか?
知覧町にある“富屋旅館”に宿泊した翌朝の3代目女将 鳥濱初代氏の講話の際に尋ねられた言葉です。自分の命の使い方など考えた事がなかった私は答えに迷いました。すると続けて「感謝とは何だと思いますか?」と尋ねられました。
私は「“ありがとう”と言ってもらえたり、言ったりする事ですか?」聞きました。
すると特攻隊の人々が最期に伝えたかった、その「ありがとう」とはどんな意味でしょうか?と尋ねられて私は何も答える事が出来ませんでした。
福岡に帰ってきてから喫茶店に2時間。メモとペンを持ってありがとうの意味を考えました。
感謝とは感恩報謝。
命とは時間であり、いつ終わるか分からない命のその時間を自分の為に使用して頂く事は当然ではなく、尊い事だと思いました。それは例え電話であっても対面であっても変わらない事です。友達が自分の事を考えてくれていればその時間も友達の命を頂いた事になるのです。先輩に食事をご馳走して頂いたら食事の時間だけではなく、そのお金を稼ぐ為に働いていた時間もその先輩の命で頂いた事になるのです。
この記事を読んで下さっている時間もそうです。
伝える事が出来ているでしょうか?
私たちは多くの人の命を頂いているのです。それは当然ではなく、尊く、有り難い事なのです。“ありがとう”は“有難う”なのです。
“有り難い”とは“当然ではない”という事なのです。
何が当然ではないのかというと、自分の為に貴重な命を使って頂く事です。
その事に気付き、命を使ってくれた方々に“恩”を“感じて”自分も誰かの為に命(時間)を使って“報いよう”とする“謝意”です。
感恩報謝(感謝)が持つ意味です。
皆さんはこれから何の為に働いていきますか?
知覧に行くとその答えが見えてくるかもしれません。
ご一読有難う御座います。
コメントを残す